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バッハ(W.F.) (ヴィルヘルム・フリーデマン)の輸入楽譜


Bach(W.F.) (Wilhelm Friedemann)ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
Wilhelm Friedemann Bach
1710年11月22日 - 1784年7月1日
ドイツの作曲家。大バッハの長男。



1710年、ワイマールにて生まれる。
父はヨハン・セバスチャン・バッハ、母はマリア・バルバラ。

幼少の頃より、父や母から音楽的教育を受ける。

フリーデマンは、父バッハに最も溺愛されていたとされる。

11歳、父バッハは、『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』を、フリーデマンの音楽教育のために作曲する。
これは後に『平均律クラヴィーア曲集』に収録された。

13歳、父バッハがライプツィヒの聖トーマス教会のカントルに就任する。
同時に、フリーデマンは、トーマス教会の学校に入学する

19歳、卒業後、ライプツィヒ大学に入学、法学を学ぶ。
フリーデマンは、生涯、数学に強い関心を持っていたらしい。
卒業後も、働きながら数学を勉強していたという。

23歳、ドレスデンの聖ソフィア教会のオルガニストに就任する。
採用試験では、父バッハの前奏曲とフーガの新しいバージョン(BWV 541)を演奏し、他の候補者を圧倒したという。
フリーデマンは生涯を通じて、有名なオルガニストであった。

36歳、ハレの貴婦人教会のオルガニストに就任する。

フリーデマンは、ハレの地位に関して、就任時から不満だったという。
39歳のときには、権力争いや部下の資金流用などの問題に直面していた。

40歳、教会当局はフリーデマンを懲戒処分にする。
フリーデマンは別のポストを探すが、どれも不採用となる。

41歳、11歳年下の税理士の娘ドロシア・エリザベート・ゲオルグと結婚する。

54歳、次のポストが決まらないまま、ハレの地位を辞める。

その後は、音楽教師などを務めるが、貧困に苦しむ。

60歳、ハレを去る。

その後、各地を転々とした後、ベルリンに至る。

73歳、ベルリンにて死去。


ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは、大バッハの長男として秀でた楽才を持ちながらも、性格的な破綻から身をもちくずし、極貧の中で妻子を残しベルリンで死去した。

現在、彼の作品は大バッハの影に隠れているが、彼の自由な性格を反映したその音楽は、実にロマンティックな特徴をもっており、再評価されつつある。



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