2007年4月のバックナンバー

ロストロポーヴィチ氏死去

4月 28日 2007年

世界的なチェリストのロストロポーヴィチ氏が死去されたそうです。
演奏者としての彼の偉業はCD等でふれられるとおりです。力強い演奏と確かな技術力、そして長い演奏活動の中での豊富な録音は100年後もクラシックファンを楽しませてくれると思います。
また、世界中の作曲者にチェロのための曲を書いてくれるよう依頼をしていたそうで、彼のおかげで20世紀にチェロのレパートリーは大幅に増えたと言われています。ベンジャミン ブリテンのチェロソナタやピアソラのグラン タンゴなど、彼に献呈されている曲も山ほど有ります。
100年後でも200年後でも、バイオリンのヨアヒムのように、曲を聴きながら曲目解説を読んでいたらあちこちで目にする名前になること間違いありません。

私が最後にロストロポーヴィチの音楽を聴けたのは、半年ほど前に新日フィルでのショスタコーヴィチ プログラムを指揮されたときでした。彼のチェロ演奏と同じく、力強いフレーズ感で、家にあったCDでは難しく感じられた音楽がとても見通しよく感じられ、引き込まれるように聴いていた演奏会はとても短く終わってしまったようでした。

今夜は追悼の気持ちを持って、彼のバッハの無伴奏チェロソナタを聴きながら、寝ようと思います。

雹-ヒョウ

4月 26日 2007年

今日はもともとそれほど天気は良くなく曇り空だったのですが、お昼過ぎ、突然バラバラバラっと堅い物が窓に当たる音がしてきました。季節外れのあられにしては堅い音だなと思ったのですがーー4月後半にあられが降るかもと思うこと自体が変なのですがーーレースのカーテンを開けて外を見てみるとヒョウが降っていました。
正直ヒョウという字は知りませんで、タイトルの漢字はパソコンの変換任せなのです。それどころか、こんなに大きなヒョウを見たことも初めてなので、子供のように外に飛び出してしまいました。あられが降るときほど寒くもなく、こんな凍っている物が降るのが不思議な感じですが、手に取ってみるとやはり冷たい。小指の先より大きな物もあり、頭に当たると痛そうです。何も考えず外に飛び出した自分を少し恥ずかしく思う一瞬でした。

雹/輸入楽譜レパートリー雹/輸入楽譜レパートリー

災害ボランティア その3

4月 24日 2007年

能登半島地震 災害ボランティア
能登半島地震 災害ボランティア

大変なことばかりではなく、楽しい出会いもありました。穴水町では、いさざを捕っているおばちゃんに会えたました。いさざとは、透明な体をした小さな魚で、シロウオともよばれています。ポン酢をかけて躍り食いにしたり卵とじにするととても美味しいです。
四角い網を川底において、上を通るいさざの群れをすくい上げるようにして捕るのですが、その慣れた手つきが見事で、面白いように捕れるのです。
近くに来た群れを見つける、横にいたお婆ちゃんの目と、それを網の上におびき出すために釣り竿のようなもので驚かせるおばちゃんの技が肝なんだと思います。

おばちゃんの家も水道管が壊れ、お風呂の脱衣場などが水びだしになるなど被害があり、震災後初めてこの日にいさざ漁に出てきたそうです。
一日埃にまみれて片付けをしてきた私たちも、漁を眺めていると疲れも取れた感じになりました。
夕飯にカップラーメンでも食べようかと思っていたのですが、たくさん分けていただき、思いのほか贅沢な夕飯となりました。

災害ボランティア その2

4月 24日 2007年

能登半島地震 災害ボランティア能登半島地震 災害ボランティア二日目は門前町に行きました。自動車で町に入っていく間、車の中の会話がだんだんと無くなっていきました。薄い灰色の国道に、つぎはぎの応急処置で直したアスファルトの跡は、白い紙をガムテープで貼ったような痛々しさでした。

事前に耳にした「ボランティアで溢れかえっている」という情報は正しくなく、実際は、素人のボランティアが作業できないほどの危ない箇所が多すぎることや、撤去した跡の瓦礫を運び入れるためのトラックが足りなかったり、瓦礫の量が多すぎて、トラックで往復2時間の場所まで運んでいかなければいけなかったりと、大変すぎる状況が問題でした。

ずぶの素人の私たちは、隣町から作業機械やトラック持参で来られている、プロの土木関係の方と運良く作業ができました。何年か前まで、門前町でも仕事をされていたそうで、「昔お世話になった方もおられるから」と、仕事を休んでボランティアに来られていました。

作業は、駐車場の周りの塀の撤去でした。大破した部分の瓦礫を取り除き、半壊した部分を崩してから取り除く作業です。
場所によっては手で揺さぶっても崩れるような状態になっていて、余震で崩れて自動車にぶつかる危険もあります。町中のあちこちがこういった危険をはらんだまま、全部を直す余裕のない状態が続いているので、精神的な疲れも相当なのではないかと思います。

何とかできるところまで塀の撤去はしましたが、広い駐車場の塀全部を取り除くことはできませんでした。町全体の復旧は、一年やそこらでできるレベルではないそうです。

また時間を見て秋までに何日か行けたらと思います。

災害ボランティア その1

4月 23日 2007年

能登半島地震 災害ボランティア能登半島地震 災害ボランティアあまりの非日常ぶりに、どうまとめればよいかも分からず二週間も経ってしまった能登半島地震後の災害ボランティア。
ただ、通りすがりに二日間だけ片付けのお手伝いにをした様なものなのですが、先日三重県でも地震がありましたし、「普通の人がボランティアに行ったら」という疑問へ少しぐらい答えられるかと思い、ブログに残しておこうと思います。

1日目は穴水町に行ってきました。
昔ながらの蔵のある家が多く、そのほとんどが壊れていたようです。私たちがお手伝いした家も、その土蔵が半壊し、土蔵の中の荷物を全部移動させてから後日取り壊さなければいけない、年配のご夫婦の家でした。
午前中、荷物を二人で運んでいたのですが、二つとても大きな荷物があり、一つ目ををおじいさんにも手伝っていただきました。
二つめを運ぶときに、大きさはそれほどでもなかったのですが中が詰まっているようでとても重く、「三人でも無理かな」と言うと、「もう一人連れてくる」とおじいさん。
「なんだ、まだ人がいたのか。最初から一緒に片付けてくれればよいのに」と思ったのもつかの間、来られたのは かわいい雰囲気の小さなおばあさん。
荷物に手はかけていただきましたが、気合いを入れて私たちで運びました。
若い人手が不足しているのを、ここで初めて実感しました。
午後は土蔵の中に入っての片付け。
入口が崩れて狭くなっているので、ただ荷物を出すのにも一苦労でした。
町中を歩いてみると、地震後の片付けをされている方のほとんどが年配のようでした。

能登半島地震

4月 11日 2007年

能登半島地震

月曜、火曜の二日間、社員の坂田君と二人で穴水町門前町へ、少しだけですが地震後の片付けのお手伝いに行ってまいりました。
その間、メールでのお問い合わせに返信ができなかったりとお客様にはご迷惑をおかけしました。
1日目の朝4時半に起き、テントで宿泊し、二日目の夜10時に帰ってくる強行軍でした。
何もできないのではと頭では分かっていたつもりでしたが、実際現地に入ってみると、テレビで見て想像しているよりも被害はひどく、自分のできることがとても、とても小さいことだということが分かりました。
特に門前町は被害がひどく、半壊、全壊したままの家がそのままになっている物も多くありました。人手が足りず手が回らないようです。

具体的なことは次回に詳しく書こうと思いますが、きれいな--いかにも日本というような--黒い瓦屋根で統一されていたはずの町並みが破壊され、いくつかにはブルーシートが被せられ、いくつかは木の骨組みがむき出しにされたままになっている光景は、何とも言いようがありませんでした。
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